習ったことをすぐ覚えられる子、そうでない子
いわゆる、勉強が得意な子と、苦手な子を分ける、境界線は何なんだろう。
この仕事をやっていると、どうしてもその問題と対峙せざるを得ない。
「量」というのは一つの分かりやすい指標だろう。
「あいつはシンプルに量が足りてないからできない。」
そんな場合も、多くある。
「質」という指標はどうだろう?
なんだか漠然としていて、定量的に捉える事ができない。
つきつめていくと、“才能”みたいな、とりとめのない話に帰着してしまいそうだ。
確かに勉強できるヤツはスマした顔で、そんな勉強してないけど勉強できる風情を醸し出してくる。
「あいつは簡単に覚えられていいよなぁ。。。」
「天才と凡人は違うんだよ。。。」
嗚呼、自己肯定感が著しく減衰...
いや、ちょっと待って!
そこで思考停止しちゃっていいのか?
勉強は、すべてが生まれ持ったもので決まってしまうものなのか?
考えてみると、そういえば、、、
勉強が得意な子は、インプットの仕方が上手だなと思う。
新しいことを覚える際、必ず自分の頭の中で言われていることを噛み砕き、
自分の経験や過去の記憶と紐付けして覚える。
頭の中がクリアで、知識の根っこが深い。
木で例えると分かりやすい。
すぐ覚えられる子の脳内は、幹がずっしりしており、そこから知識や思考が枝分かれしていく。
多くの子が苦手にしやすい、英語の活用も、インプットの仕方で、覚えられる量がべらぼうに違ってくる分野だ。
「主語が3人称単数現在形の時は、動詞にS、またはesをつけ、疑問文はDoesを前に、否定文ではdoes notを使います!」
ってやつ。
これに過去形や現在進行形なんかが入ってくる中1の今の時期は、特に苦手が量産されやすい時期だ。
なぜ難しいか。
なんでもかんでも“覚えよう”としてしまうからだ。
できる子は、覚えられる量が有限であることを知っている。
なので、青天井に暗記量を増やそうとはしない。
今回の活用に関しても、基本の英文である、中1の最初にやった、一般動詞の現在形を幹とし、それぞれの活用へと枝葉を伸ばしていく。
Do you like tennis?→→→Does he like tennis?
「形一緒やんけ!」と。
なんでもかんでも覚えようとする子の脳内
なんでもかんでも覚えようとする子の脳内は、言ってみれば、枝が無尽蔵に積み上げられている状態だ。
枝が、一本一本分かれに分かれていて、この枝、どの木から取れたんだっけ?という状態になっていたら、とてもじゃないけど全部を覚えきるのは不可能だ。
新しい知識を覚えた直後に、また新しい知識が降ってくるから、記憶の干渉が起きる。
日頃から幹から枝葉へと覚えていく子は、授業で思考の整理と紐付けがされていて、あとはテスト前に実際の問題に触れてみればいいだけなので、暗記の絶対量が少ない。
ボクが生徒によく、「知識をフォルダ分けして、整理整頓するように覚えよう!」というのは、この暗記量を減らしたいがためのアドバイスだ。
これは“能力”ではなく、“習慣”
最初の問いに戻ろう。
「勉強が得意な子と、苦手な子を分ける、境界線は何なんだろう。」
今のボクは、
「能力値は確かに存在するかもしれない。しかし、それよりも大きいのは、何年にも渡って築き上げてきた、あなた自身の物事の捉え方、理解の方法に、大きく依存するのではないか。」
と仮説を立てている。
なんだって!?
「今さらそんなこと言われたって、なんの解決にもならないじゃないか!」だって?
「もっと実践的なことを教えろよ?」ふむふむ...
じゃあ、せめてそうなれるような努力をしよう。
例えば、
「どうしてこうなるの?」
っていう意識でもって、学校の先生の話を聞く。
「前やったこれと一緒じゃね?」
自分の中の経験や、知っていることと関連付ける。
そんなちょっとの意識で、少しずつ君はできる側の生徒へと近づいていく。
枝の知識だけ手に入れるんじゃなくて、知識と知識をつなぎ合わせて、森を手に入れよう。
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