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我慢の勉強はやめよう

私はこれをやると決めたら割と動く人間です。

逆にやれと言われたことは納得していないと、なかなか動かない人間です。

母親にあれやりなさい!って言われたときには、「あとでやるって言ってんの!」が口癖でした(結局やらないアホ)。

今はやらなきゃいけないことは思ったときに出来るだけやるようにしています。

ちょっとだけ成長したかな?

「母上、その節はすませんしたっ!!」

今も性格的に変わったことはそんなない気はするのですが、良い悪いはさておき、自分で塾をやって、かつそこそこやっていけているので、まぁその性格、長所と捉えます(笑)

ふと、こういったマインドは生まれつきのものなのか、後天的に環境によって作られたものなのか、なんてことを考えたりしました。

自分がこういう人間なので、「みんながみんなやりたい事をやれればいいのにな。」なんて思うんですが、現実は難しそう。

話を身近なところに持っていくと、中学生の小学生との違いの中に、“やらされる勉強”と“自分からやる勉強”と言うのがあると思います。

小学生は基本的にやらされる勉強なのかなと。中学生に上がり、自立し始める過程で、少しずつ“自分からやる勉強”に変わっていくのだと思います。

自分からやれるようになる前には、やっぱりそもそも勉強のやり方、ものの考え方っていうのが備わっていないといけないので、小学生の“やらされる勉強”ってのも別にネガティブな意味ではなく。

必要不可欠なフェーズだと思います。

だから小学生のうちはお家の方の管理が必要になってくるような気はします。

勉強は間違いなくするもんだという環境づくり。

それが中学生になると思春期というのもありますし、ずっと親の管理下において勉強し続けるなんてわけにいかないですよね。

だから私たちのような仕事があるような気もしますし。

ちょっとずつ自分の勉強のやり方みたいなのを見つけていかなければなりません。

そこで冒頭の問いに帰ってくるんですが、やらされる勉強が長引けば長引くほど、やりたい事を我慢する人間になってくるような気がするのです。

勉強=我慢して学力(学歴)を得る行為

仕事=我慢してお金を得る行為

二つが結びついてきました。ということは、後天的な“環境”というものが大きな影響を与えているのかも。

もちろん生きていればやりたくないことも出てきます。でも、それをやりたくないと言ってやらなかったら、大人になれない。

やりたいことのために、やらなきゃいけないことをやれるのが一人前の大人ってもんです。

間違いなく言えることは、出来る生徒ほど“我慢の勉強”をしていません。

もちろん前提として、出来るから、分かるから楽しく勉強しているって事も一理あるとは思いますが。

2年塾をやってみて感じることですが、結局成績の上がり幅が大きい生徒は、塾に来る意味を分かっている子です。

それは言い換えると目的意識などとでも言うのでしょうか。

何か変わりたいという思い。

「塾に行かされている、勉強をやらされている」という意識は、まるで染み込まないスポンジのように知識をしたたらせていきます。

初めは出来なくてもいい、●●くん、○○ちゃんに勝ちたい、そんな意識でもいい。

何か明確な勉強をする理由を見つけて欲しいと思います。

なりたい自分をイメージしよう。

そして、勉強に没頭しよう。

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