失敗には寛容で
失敗の多い人生でした。(太宰感)
誰だって失敗はしたくないけれど、失敗からしか学べないのもまた人間です。 語弊がありますが、生徒にはいっぱい失敗してほしいと思ってるんです。 例えば普段の小テスト1つとっても、あちゃーやっちまった!なんてことあるでしょう。
まったく勉強してなかった!計算ミスった!勘違いして理解していた!
失敗には、枚挙に暇がありません。
でもね、やはりそこからどう動くかというのが、何より重要で。
直しの解説聞いたら何事もなかったかのようにテストをしまうやつ、もう一回見直してみるやつ、どっちが次同じ失敗を繰り返さないかと言ったら、やはり言わずもがなで。 前者の生徒はやっぱり同じことを何回もやりおるんですわ。
だから私も最初の失敗に関してはあまりとやかく言いません(程度にもよるけど)。
でもね、2回目、ましてや3回目になればもうそれは小テストのための勉強。
つまり、テスト勉強における自身の理解度の確認という、本来のテストの意味から大きく逸脱しているのです。
「別にいいや。」「仕方ないや。」の姿勢は最も成長を阻害すると思っています。
これらの言葉は、塾に来る意味を自分自身から奪う言葉ですからね。
散々ここまで「失敗から何を学ぶか」ということで、話をしてきたのではありますが、他方で、初見ほど大事な時は他になくて、これまでの話で誤解しないで欲しいのは、
「一度目は別にできなくてもいいんだ!」
と言いたいわけではないということです。
そもそもが知識フル稼働で、一度目を試行錯誤するからこそ、直しや2回目が生きてくるのです。
だってテストや入試には“2回目”はないでしょう?
テスト期間中においては、
ワークをやる→テストを受ける→出来ないところがある→出来なかった理由を探る→ワークの類題をやる→再テスト合格する
このようなステップが理想的かと思います。
この中で大いに失敗してください。
内容の失敗もあれば、テスト勉強が十分に出来なかった、時間が確保できなかったなどの失敗もあるでしょう。
定期テストそのものに失敗できるのも中学生の特権だと思います。
かくいう私も、中2でものの見事に中だるみし、えらい親に怒られたのを覚えています。
すべてのテストで自己ベストを取るなどそう簡単にはいきません。
保護者の方には、多々用いられる言葉ではありますが、結果に一喜一憂せず、その課程を評価し、次に向けた対策を共に考えていくと良いのではないでしょうか?
そして、考えきったら、失敗のことは忘れていざ行動を、起こしてみてください。